ミャンマー軍事政権のクーデターによる経済損失、約35億ドル
2021年2月1日の朝、軍事クーデターにより、民主主義化を推進していたミャンマーは再び軍事政権に逆戻りした。
クーデター以前ミャンマーは世界各国から投資を集め、順調に経済発展をしていたにも関わらず、貧困率は国民の25%と高かった。現在世界の投資家はミャンマーから資金を引き上げており、貧困率は悪化し続けている。
ミャンマー(当時ビルマ)は1948年にイギリスの植民地支配から独立して以来、ほぼ軍事的支配下だった。この間軍事政権は、主要企業を国有化し、経済の悪化を引き起こした孤立主義政策を実施した。1988年、軍は汚職、経済的苦痛、食糧不足に対する学生主導の抗議に参加した何千人もの人々を殺害。 さらに、ロヒンギャのイスラム教徒などの少数民族を絶え間なく迫害してきた。
2016年ミャンマー最初の民主的選挙が実施され、レジスタンス運動のリーダーであり、ノーベル平和賞受賞者であるアウンサン・スーチーが民間のリーダーになりました。だがミャンマーの憲法では国会議席の25%は軍事政権が保有することを保証しており、憲法改正には議会の75%以上の同意が必要であるため、完全な民主化を実現するには至らなかった。
2020年11月、ミャンマーは選挙を実施しスーチーとその党である国民民主連盟(NLD)は圧勝し、軍の議席数を476から396に減らす事に成功し、民主化が加速すると考えられた。これに危機感を持った軍幹部クーデターを実施し、わずか4年でミャンマーの民主化は夢と消えた。
前述の通り、世界中の大手企業がミャンマーから撤退。建設中の工場もあったが、全ての計画は白紙に戻った。
2021年2月11日アメリカのバイデン政権は、ミャンマー軍関係が米国内に保有している10億ドルの政府資金を凍結させ、全てのビジネスを停止した。
世界から孤立し、経済的に追い詰められるミャンマーの軍事政権が今後どのような行動をとるのか不確実だ。このクーデターを「約35億ドル」と数字で片付けてしまうには、国民の犠牲が多すぎる。